人類誕生(原人から出現したミュータント)


(1)チンパンジーと類人猿の共通の祖先
アフリカの大部分を覆う木の上で暮らしていたこの種は、気候の変動で草原が広まり、森林から追い出されていきました。種の進化は常に絶滅と隣り合わせの過酷な道程です。二足歩行を始めた訳は、資源を他のなかまにとられないように独占するためでした。手が自由になる分だけたくさん持ち運べました。オス同士が闘う一夫多妻ではなく、一夫一婦制でオスが直立二足歩行して食糧を運ぶことで、生存や繁殖を有利にしました。25種以上の森林から追い出された類人猿はすべて滅亡し、集団で行動し道具を使う華奢なホモ族だけ残りました。
(2)ホモ・エレクトスの出現
ホモ・エレクトスは、日常的に狩りをして肉を食べました。栄養豊富な肉を食べて、脳が発達していきました。狩りの道具や足跡での追跡など頭脳を使って狩られる側から、狩る側へ進化しました。体毛が薄くなって、体温の調節が可能になり、体毛に覆われた動物よりも長距離を動けるようになっていきました。勢力を拡大したホモ・エレクトス(北京原人、ジャワ原人)はアフリカを出て、アジア各地に広がっていきました。そののち、ホモ・ハイデルベルゲンシスへ進化して、ネアンデルタール人、ホモサピエンスになっていきます。
(3)ホモ・ハイデルベルゲンシスから進化
約90~20万年前までが、ホモ・ハイデルベルゲンシスの生存時期で、ホモ・エレクトスより前に絶滅したと言われます。その後、18万年前から13万年前まで5万年間地球規模の「リス氷期」が続きました。温暖なアジアに渡ったジャワ原人はあまり氷期の影響を受けず、この時点では絶滅を免れました。いち早く寒冷地に適応していったヨーロッパに住むネアンデルタール人は寒さに強く全滅を免れました。しかしアフリカ大陸にいたホモ・サピエンスは砂漠化と気温低下で絶滅寸前になりました。一握りのホモ・サピエンスだけが温暖な南アフリカの南端で、ムール貝など様々な種類の貝を食べて生き延びました。
(4)ホモ・ネアンデルターレンシス
ネアンデルタール人は約40万年前に、ユーラシア大陸で出現して、約3万年前に絶滅したとされます。5万年続いた「リス氷期」を生き抜き、3万年前のヨーロッパにも 約1万人弱のネアンデルタール人がいました。脳容量は現生人類よりも、約1割大きく、頑丈な骨格を持っていました。かなり勇敢で強引な狩猟を行っていたようです。
(5)ホモ・サピエンス
ホモ・サピエンスは約20万年前に、アフリカで出現しました。アフリカでは13万5000年前と9万年前にひどい干ばつが発生、そして7万5千年ほど前には極端な気候変動がありました。7万5千年ほど前、人類の規模が急減して総数1万人以下となり、遺伝子の多様性が急速に失われました。ついに消滅の危機に瀕するほど激減し、一時は2000人ほどになりました。そして、生物集団の個体数が激減したあと再び繁殖したため、遺伝的多様性の低い集団になりました。これを集団遺伝学におけるボトルネック効果と言います。
(6)ボトルネック効果前の出アフリカ
12万年前ホモ・サピエンスが最初にアフリカを出たのは、アジアとアフリカが唯一陸地としてつながっている場所でした。すなわち「北回りルート」、西アジアの地中海沿岸、現在のイスラエル、パレスチナ、レバノン、シリア沿岸部でした。中国南部には、すでに8万~12万年前ホモ・サピエンスが住み、イスラエルでは、すでに9万2000年前に住んでいました。10万年前すでに、シベリアアルタイ山脈でホモ・サピエンスとの混血したネアンデルタール人もいました。彼らは75000年前まで、8万年の間、存在していましたが74000年前に始まった最終氷期の寒さに耐えられず、絶滅したと考えられています。
(7)ボトルネック効果後の出アフリカ
6万年前に、再びホモ・サピエンスはアフリカを出て中東 に進出しました。今回は、東アフリカから紅海を経て、ア ラビア半島へ直接到達するという「南回りルート」です。 もっとも幅の狭いバーブ・エル・マンデブ海峡を経てアラ ビア半島に到達しました。海峡は、氷河時代の海面が低下 したときにも、陸地化することはなかったのですが、幅は かなり狭まっていました。 中東には、すでにネアンデルタール人がいて、ホモ・サピ エンスは独立して存在するようになりました。 ネアンデルタール人は血族中心の共同体で、100人以下で 洞窟で暮らしていました。まだホモ・サピエンスの共同体 も150人程度で、お互いに干渉しないで生きていくことが 出来ました。中東では、5万年前頃まで ホモ・サピエンス とネアンデルタール人は何度か交配しました。
(8)ホモ・サピエンスのユーラシア大陸進出
およそ7万3千年前、現在のインドネシア・スマトラ島の北部のトバ火山で大規模な噴火が起きました。そして、世界規模の気候変動が起こり、陸地の大部分に寒冷化を引き起こしました。南アジアでは、「原人」やほかの古代型人類が噴火の影響で絶滅しホモ・サピエンスがそこに進出していきました。ヨーロッパにおいてもホモ・サピエンスは、4万1000年前から3万9000年前にわたって、ネアンデルタール人と置き換わっていきました。
(9)ネアンデルタール人の影響はあるのか?
ネアンデルタール人との交雑は10万年前~5万年前頃までありましたが、5万年前以前の子孫は全滅しました。アフリカ系現代人には、ネアンデルタール人に由来するDNAはありません。非アフリカ系現代人には、ネアンデルタール人に由来するDNAが1.8~2.6%あります。ネアンデルタール人由来のDNAは、免疫システムや病気のかかりやすさなどに関連している部分があると言われています。しかし、アフリカ系現代人と非アフリカ系現代人に違いがないように、現代人類はネアンデルタール人の影響はないようです。
(10)ネアンデルタール人の特徴
頑丈な骨格を持ち、脳容量は現生人類よりも、約1割大きい。死者を埋葬する際には、死体の脇に花を添えるという、豊かな感情も有していました。そして、貝殻などをペンダントにして、身につけていた可能性もあります。骨折が多いことから、かなり勇敢で強引な狩猟を行い、役割分担(分業化)による狩猟はしませんでした。ネアンデルタール人は血族中心の共同体で、100人以上の集団は形成しませんでした。
(11)ホモ・サピエンスの特徴
消滅の危機を乗り越えて、高度な認識力と計画を立案する能力を獲得しました。この能力は、小脳が発達する事によりもたらされたと考えられるホモ・サピエンスだけに見られるものです。砂漠化と寒冷化した大地を、常にストレスにさらされながら生死を掛けて移動したお陰かもしれません。高度な認識力と計画を立案する能力により、論理的に思考したり、空想する事が出来るようになりました。言葉を生み出し、新しい道具を発明し、広い地域をカバーする大規模な社会ネットワークが作られていきました。ホモ・サピエンスは500人~1500人の互助的な大集団を形成する事ができるようになりました。
(12)ホモ・サピエンスのその後
人類の脳の大きさは過去3万年で縮小している事がわかりました。発掘された頭がい骨を測定した結果、現生人類の脳の平均サイズは3万年前と比べ約10%縮小し1500立方センチメートルから1359立方センチになっています。縮小はテニスボール1個分に相当します。複雑な社会が誕生するにつれ、ヒトは生存するために知能を使う必要がへり、脳が縮小していったのではないかと言われています。有形無形の道具が使えなかったら何もできず、生きる能力はネアンデルタール人に遠く及ばないでしょう。
(13)現代人
現代人は、複雑なことを考えるためには、有形無形の道具の助けを必ず必要とします。有形無形の道具がなければ計算もできず、様々な記憶もうろ覚えで、考えをまとめる事が出来ません。私たちの脳は、スマホなど人工物と一緒に、ほぼ一体化して物事を考えています。つまり、一人ひとりの脳は、すでに単体ではうまく機能しなくなっています。その反面、一人ひとりの専門とする分野では、次々に凄いスピードで新しいものや考えが生れています。たぶんこれを、進化と呼ぶのでしょう。
(14)未来の人類
一人一人専門とする分野がますます細分化していきます。一人でキッチリ理解できる事柄はどんどん減ってきます。膨大な情報が、常時コンピュータシステムに蓄えられ続け必要な時に即座に利用出来ます。コンピュータによる、知的な情報処理システムの働きで、集団による決定が自動的に行われるようになります。どこに向かうのかはわからないままに、惑星全体が一つの意識になってしまうでしょう。異星人が観察しにきたら、膨大なユニットによる一つの集合意識だと思うことでしょう。

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